高くて良いものが、僕にとって良いものとは限らない

P.6|高くて良いもの、僕にとって良いもの

【要約】

  • ベテラン山屋である妻鹿さんは、ホームセンターのヤッケを着ている
  • 里山で出会った爺さんは、ほとんど手ぶらで山に登る
  • 僕にとっての良い服は、犬と気楽に過ごせる1000円のTシャツ
  • 高くて良いものと、僕にとって良いものは、似ているようで違う

【バリ山行の妻鹿さん】

読書の秋だから、本の話から始めてみよう。

芥川賞を受賞した『バリ山行』という純文学のなかに、妻鹿メガさんという、変わり者として描かれる人物が登場する。山好きの知人に贈ってしまって読み直せないから、曖昧な記憶を元に書くのだけど、山と街の生活、そして生に関する作品だったと思う。妻鹿さんは兵庫県は六甲山の道なき道、いわゆるバリエーションルートを好むおじさんで、ホームセンターのヤッケを着る。対して、同じ会社に所属する主人公は、会社のイベントをきっかけに登山にハマる。アウトドアブランドのウェアを揃え、整備された登山道をゆく。

標高が低い山の一般的なルートでも、装備の選択や状況判断を間違えると、命の危機にさらされる。それがバリエーションルートともなれば、リスクは一気に跳ね上がる。道が自然に還っている。現在地がわからない。人が通らないから、助けを期待できない。僕は、標高500mの普通のルートでも、勇気を振り絞らないといけない場面がある。バリエーションルートなんて、とてもじゃないけど行く気がしない。自転車といっしょに清水峠を踏破するなんて、憧れるけれど。

山歴が長く、ハイリスクなバリエーションルートをゆく妻鹿さんの方こそ、高価で高機能なウェアが活躍するはず。でも、妻鹿さんはホームセンターのヤッケを着ている。たぶん、980円くらい。おしゃれなハイカー集団のなかにいたら、間違いなく浮いた存在となる。初心者扱いされるかもしれない。主人公と同じ会社に勤めているから、経済レベルは似たりよったりのはずで、パタゴニアのジャケットを買えないわけじゃない。せめてモンベルのストームクルーザーを着ればいいじゃないか。けど妻鹿さんは、ホームセンターのヤッケを選んで着ている。奇をてらっているのとも、チープハイクのアプローチとも違う。きっと、妻鹿さん自身が、これがいいと選んだのだ。

【シティボーイの仙人】

何年か前の冬、自転車を1時間ほど漕いで、里山に登りに行った。まったくメジャーな山ではないから、人より獣に出会う確率のほうが高い。大きな荷物を抱えていると下ばかり見て歩いてしまって、いつの間にか登山道から外れていることがある。だから時おり周囲を見渡して、ピンクのテープを目印に、慎重に黙々と登る。1時間半ほど歩き、山頂付近までたどり着いた。山頂は目と鼻の先なのだけど、高低差のある岩場を登らなければいけない。僕は怖気づいて、来た道を引き返す。その途中、カラフルなウェアに立派な登山靴、大きなザックを背負ったマダム2人組が道をふさいで談笑しているのが見えた。山で人と会いたくないのだけど、ここを通らないと帰れない。

落ち葉を踏むカサカサという音と、鼻水をすする音を立て、人間の存在に気づいてもらう。意を決して、こんにちは〜と声をかける。向こうも笑顔でこんにちは〜。その直後、僕の脇に抱えられたマウンテンバイクに気づき、目を丸くするマダムたち。案の定、質問攻めにされる。どこから来たの。重さはどれくらい。だから人に会いたくなかった。担いで登ったんですけど全然乗れる場所がなくて。なんて定型文で返す。あれこれ質問されているうちに、下からシャカシャカという物音が聞こえてきた。

僕は目を丸くした。その音の正体は、10cmほどの鼻水を光らせた髭面の爺さんだった。チャーミングな笑顔が、敵ではないというシグナルを発している。ネイビーのシャカシャカの上下、白い軍手、ふくらはぎまである濃紺の長靴を身につけており、色の組み合わせがシティボーイみたい。見たところ、ザックも水筒も、なにも持っていない。唯一の装備は道中で拾ってきたであろう、長い木の枝だった。おそらく地元の人で、日課の散歩なのだろう。

マウンテンバイクを抱えた若者と、カラフルなウェアをまとったマダムと、鼻水を垂らした仙人が、こんな山のなかで一堂に会した。あわわわ、ふにゃにゃにゃ。何を喋っているかわからない爺さん。マダムたちも聞き取れているはずはないのだけど、さすが人生の先輩で。あー、とか、うんうん、という意味のない音を駆使して、そつなく会話を乗りこなしている。僕は息を殺して、嵐が過ぎ去るまでマダムに任せることにした。そうして10分くらいして、仙人のような爺さんはカサカサ・シャカシャカと音を立て、山頂へ向かって消えていった。夕日がまぶしい。

【僕にとって良いもの】

数年前、セカンドストリートでラックにかけられた服を次々とチェックしていると、手触りで格の違いを感じられる一着があった。とろけるような肌触り。目を引く鮮やかで美しいブルー。カテゴリーごとに並べられた有象無象の服の中で、異彩を放っていた。タグを見るとジョンスメドレーとある。ジョンスメドレーといえばウールのイメージだったけど、それはコットンの中でも特別なシーアイランドコットン製だった。高くて良い服というのは、きっとこういう服のことを言うのだろうと思った。

だけど、それが僕にとって良い服とは限らない。

犬と暮らしている。彼女はバイクが苦手で、見つけるなりギャンギャンと吠え立てる。抱っこ中に新聞配達のバイクに遭遇すると、僕のみぞおちあたりを後ろ足で激しく蹴る。ときに肩に乗り上げてまで吠えかかる。ネイビーのTシャツに、白い爪の跡が何本もできる。お風呂場で裸の自分と対峙したとき、お腹にミミズ腫れができていることに、初めて気づく。

もし彼女との散歩で着ていたのがジョンスメドレーのポロシャツだったら。汚れていないか。穴が空いていないか。そんなふうに服のことが気がかりで、きっと腹を立てたり、いっしょに遊ぶ時間をないがしろにしたりしてしまう。不安で吠えている彼女のことより、自分のことで頭がいっぱいになるかもしれない。いくら高くて良い服を着ていたって、そんなの、ちっともおしゃれじゃない。傷を付けられても笑顔でいられて、遊ぶ時はいっしょに泥んこになれる。そんな1000円のTシャツが、僕にとっての良い服だ。

もちろん、闇雲に安いほうが良いと言っているわけではなくて。僕だって、中古で20万円もする折りたたみ自転車に乗っている。それは50年前からほとんど形を変えない、クラシックで実用的なイギリスの自転車「ブロンプトン」。似たデザインで半額以下の自転車も存在するけれど、やっぱりブロンプトンであることは譲れなかった。折りたたみという構造上、フレームが真っ二つになるという事故が怖い。だけど、ブロンプトンは50年も歴史を積み上げてきた自転車だから。この信頼の歴史だけは、誰も真似をすることができない。

高いものが良いものではなくて、みんなが使っているものが良いものでもなくて。自分にとっての良いものは、きっと自分自身で見つける必要がある。

主人公のように形から入る気持ちもわかるし、見た目にこだわりたくなるときもある。イケてるとか、かわいいとか、そんな単純な気持ちにお金をかけることがあってもいいよね。その一方で、見てくれを整えることになんの意味があるんだって、虚しさを覚えることもある。だから僕は、妻鹿さんや仙人のような人から目が離せないのだろう。

朝晩の空気がひんやりとしてきた。少しだけ寂しい気持ちになって、なんだか、価値観が揺らぐ。そんな、秋の入口。

犬と走る
犬と走るツバサコニシ

投稿2026/10/13